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中野貴史の歴史

とことん不器用な私の人生

両親

長崎県の島原から、中学卒業後に集団就職列車に乗って父、大阪へ。月給千円の丁稚奉公を7年間絶えた後、独立。
福岡の田舎の母と、見合い結婚。

誕生

母と一緒に

昭和41年、心臓が弱かった母が、命がけで私を出産。
城東区の木造長屋で、幼少時代を過ごす。


幼少時代

幼少時代の写真

ぜんそくにより、休みがちの生活。同級生も同じ苦しみに耐えてると思っていたら、自分だけと知りショックを受ける。 早朝ランニングと少年野球で体力つけて克服。
読書と図画工作、作文が大好きだった。


中学時代

中学時代の写真

うっかり地獄の強豪野球部に入部。凄まじいしごきと練習量。
バットが折れるまで尻を打たれたり、顔をバットで殴打されたり・・・

真夏の練習も水は禁止。隠れてプールの水を飲んでみたが、あれは飲めません!
お陰で筋骨隆々になり、耐える事を学ぶ。


高校時代

高校時代のバンドの写真

自分はどの分野だったら一番輝けるか?という自問自答の末、クリエイターを目指し、芸術系学校のデザイン科入学。
バイトに明け暮れて、計5種類の仕事を経験。プロとして働くことの厳しさを教わる。
仲の良い友人のケンカ仲裁に入ったところ、巻き添えを食って、無期停学になるも、無事卒業。


印刷会社

当時、急成長していた中堅の印刷会社にグラフィックデザイナーとして入社。超激務により血便、血尿、円形脱毛症になる。一年目で先輩社員が全員退職。
デザイン・制作・印刷の一連の行程を覚え、三年で退職。

制作会社

独立を意識しつつ、デザインプロダクションに入社。
バブル経済に浸りきった経営陣の素行を横目に、独立目指して安月給で働くも、バブルが崩壊。経営の天と地を間近で目撃。更にコンピューターやインターネットの普及で、業界の現状が一変。5年間勤めた会社を辞め、独立計画も一旦、白紙に戻す。

迷ったあげくに辿り着いた結論

放浪

一人旅の写真

20代後半、仕事、結婚、人生そのものに迷いと不安が蓄積。
思い切ってアメリカ、アリゾナ州に一人旅に出かける。行き先も決めず、言葉も不自由な状態で一ヶ月間放浪。
ユースホステルでドイツ人女性を口説くも、撃沈。
厳しい生活を強いられているネイティブアメリカンにも触れ広大な砂漠地帯の景色を前に、言葉も生活費にも困らない日本で、出来ないことなんか無いんじゃないか?と、発奮。


組織

クリエイティブグループのチーフ時代

帰国後、すぐに一部上場企業の子会社に、クリエイティブグループのチーフとして入社。スタッフ全員、素人集まりと知り愕然。仕事も、親会社から自動的に流れてくるしくみによって確保している状態だった。やがてそのしくみは、親会社が決行した大規模リストラによって消滅。危機感を感じ、営業でもないのに、外部企業の新規開拓を勝手に始める。


営業

保守的な上司から勝手な行動するなと怒られつつも、いつの間にか、売り上げ成績が営業マンより上になり、スタッフのレベルもかなり向上。この頃、個人的にも、結婚・出産、家の購入等、調子の良い時期が続き、有頂天に。そんな折り、強烈な嫌がらせを受け、人にそこまで恨まれている自分の存在に疑問を抱く。それがきっかけとなり、コーチングや心理カウンセリングを学び始める。

東京転勤

会社の業績を上げるためには、東京支社の強化しかない!
という決定が下り、その先陣として東京転勤が決まる。

が、しかし土地勘もコネも営業ノウハウも予算もない状態で模索の日々が始まる。とにかく人脈を拡げているうちに、人生を賭けて、必死にがんばっている経営者と多く出会う。

独立

もともと映画「赤ひげ」のような、町の経営者(弱者)のお手伝いができる販促プランナーになりたかったので、「自殺行為」等の周囲の反対を押し切って、組織を退職。
自らの経営経験が、お客様の役にたつノウハウになることを信じて独立。

凡人がイキイキ動き出す瞬間

苦悩

娘と一緒に

当時、家族を大阪から呼び寄せたばかりで、下の娘はまだゼロ歳。
数年前に建てたばかりの大阪の新築ローンや、東京の家賃等、黙っていてもかなりの額のお金が毎月出ていく状況の中で、来月から振り込みがゼロ円という現実は、予想以上に恐怖でした。この時、小さな会社の社長から幾度となく聞いていた眠れない夜の恐怖感や、開業三年以内に7割の会社が倒産するという現実の厳しさを身をもって体験…。

内観

とにかく若くはないのだから、強い独自性を持ってブランディングしなくてはいけない。何より求められる存在にならないと仕事は来ない!
今はお金も仕事も無いが、時間だけがタップリある。そこでテレビ、本、インターネット等の情報源を遮断して、自分のビジネスを再スタートするための答えを、内観、止観により、自分の中に求めた。
「自分はこの広い社会の中で、どういう存在意義があるのか?」
「自分はどんな人に、どんな事で、どういう貢献ができるのか?」
「やり甲斐があって、喜んでもらえて、収益性もある仕事は何か?」
これらの自分に対する答えを、毎日ファミレスに通って朝から晩まで悶々と考え続けました。焦る気持ちを抑えつつ…

原点回帰

自分を知るために、客観的に自分の人生をたどってみると、否定していた両親と同じような人生を送っている自分に気づく。同時に両親の自分に対する深い愛情を初めて理解。その瞬間、自分の弱い部分、否定していた部分も含め丸ごとの自分を受け入れることができた!どん底まで落ちたら、後は這い上がるだけ。「生きてるだけでラッキーやんけ!この先は何とかなるやろ!」と、妙に力が湧いてきた。

使命

底まで落ちたら上がるのみ。先ずは商品開発が必要だったので今まで蓄積してきた営業・販促ツール制作の知識と技術、心理学、ランチェスター戦略の知識などをフル動員したところ、言霊名刺が完成。配り始めたところアッと言う間に話題になり、現在使用者150名以上。

以来、その手法を生かしてチラシ制作やホームページ制作に応用したところ、いずれも集客の成果を出し、お客様に「人生変わった」とか「本当にありがとう!」とか言われて自分でもビックリ。

さらに自分の経験を元にセミナーや企業研修のプログラムを組んだところこれも大好評。
今まで経験してきた無駄とも思える、バラバラだった経験知識が一気に一本に糸で繋がりました!
全てに意味があったのです。

楽しい!一つひとつの仕事の完成までのプロセスは苦しいが独自性のある自分の仕事によって、人から喜ばれることはこんなに楽しいんだ!と、いい歳してやっと大きな発見をする。

もう生きる方向を見失うことは無いと思います。
仕事を楽しめる人を育て、人に喜ばれる仕事をするお手伝いをすることで、日本中をイキイキ ワクワクで一杯にしたい!

それが凡人、中野貴史の使命だと思っています。

出版プロジェクト受賞

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